託児をしたら「あるがまま」がわかった話

久しぶりに託児(2時間くらい)をしたら、森田療法の「あるがまま」がわかった気がした。

最初から最後まで断続的に泣いてる1歳児の男の子を抱っこしたり、絵本を読んであげたりしていたのだけど、息子の小さい頃のことも思い出した。

幼児は「なんでこんなことで泣いてしまうんだろう?」「こんなことで泣いてはいけない」などと一切考えない。泣きたければ泣く。そして泣いている理由(お母さんがいない)を忘れると泣きやみ、思い出すとまた泣き始める。泣いても泣いてもどうにもならなければ、抱っこされながら泣き疲れて眠る。人は本来そういうものではないだろうか?


けれども、人はずっとそうしてはいられない。社会性を身につけないと生きていけないからだ。託児の場で一番年上だった女の子(と言っても2歳くらい)は、お母さんから引き離された瞬間は大泣きしたけど、その後は泣きたくても我慢していた。彼女以外の子たちが代わる代わる泣き出すので、スタッフはなかなか遊んであげられなくて、オモチャの前で一人で座りこんで涙をこらえていた。これは女の子が他の子より成長していて、「いつまでも泣いていると周りに受け入れてもらえない」ということを学習済みだったからだ。
お母さんが戻って来た時、私は「すごく頑張っていましたよ」とお母さんに伝えた。その後、女の子はニコニコしながらお母さんに「頑張った!」と話していた。

確かに泣かないで頑張らなければいけない時もある。でも、行動としては「泣かない」時も、心の中では自由に泣いたらいいのではないだろうか。泣きたいのに、「こんなことで泣きたくなるなんておかしい」と自分を責めなくてもいいのではないだろうか。泣く理由が自分でよくわからなくても、泣いてもいいのではないだろうか。心の中で、幼児のように、「あるがまま」に。

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ウツの時に祈ると辛い理由がわかった

なんでウツの時に祈ると辛いのか長年わからなかったのだけど、やっとわかった…

元々「言葉」にこだわる人間だから、祈る時も自分の気持ちにピッタリくる言葉を探して「推敲」しちゃうんだな。でも「推敲」って「自己批判的思考」のことだから、ウツの時にやると辛いのだ。

「クリスチャンなのに祈れば祈るほど辛くなるなんて!」「信仰とは…」と長年悩んでいた私は何だったんだ…こんな理由だったとは…

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キリスト教の理想と森田療法の「あるがまま」

森田療法の森田正馬は、どちらかと言うと、キリスト教に批判的だった。それはもしかすると、キリスト教の求めてくる「理想」が高すぎて、人間を苦しめると思ったのかもしれない。

でも私は、人間を苦しめるのは「理想」ではないと思うようになった。絶対に届かないからこそ、「理想」だからだ。

それは、「努力すればなんとか到達できる」ということではなく、いくら探しても、自分の中に「理想のカケラもない」ということだ。だからこそ私は、弱さを繕うことをやめた。弱いままで神の前に座る。それが私の「あるがまま」だ。

★追記★

森田療法の専門家の方に読んでいただき、「森田先生は、そこまでキリスト教に批判的ではなかったと思う」という指摘をいただきました。確かにそのように思える文章がいくつかあったことを思い出しました。

対人恐怖でクリスチャンだった学生の患者を治療した時のやりとりが残っています。その中で、印象に残った言葉を一つ抜粋します。

(この患者は、進路のことで父親と対立していた。父親に感謝する心と反発する心の葛藤、対立していながら父親に養ってもらっていることの罪悪感などを抱え、「私は、物質では貧民でもよいが、頭では富豪になりたい」と書いたことへのコメントとして)

「頭の…心の貧しきものは幸いなり」

これは有名なキリストの言葉です。前に読んだ説教によると、心の貧しいもの=心の乞食というようなニュアンスだそうです。自分の心の貧しさを認めて、乞食のように神の前に座る者は、神と共にいることになるので幸いだということです。

森田先生がこの聖句をどのように解釈してこの患者に応答したのかは断定できませんが、もしかすると、自分の心の貧しさを認めることが「あるがまま」なんだと伝えたかったのかもしれません。

参考文献:「対人恐怖の治し方」森田正馬 白揚社

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会いたい

「キリストに出会う」って言うけど、私はまだ出会ってないんではなかろうか…

一時的にハイになることはあったけど…

会いたいなあ…

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川辺にいます

川辺っていいよね…

水が好きなんだと思う…

ツクツクホーシの声が弱くなって、スズムシ系の虫の声がよく聞こえるようになってきた。

(更新しないと、追加や編集ができなくなるというメールが来たのでとりあえず書いてみました)

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祈るのが怖かった話

中2の時から自意識過剰に悩まされてきたけど、今思えば、「真剣に癒しを祈らなかった」。

それには理由があって、自分で自分の悩みを「変な悩みだ」「こんなことで悩むのはおかしい」と思っていたから。そして「自分がおかしいのだから、考え方を変えるとかして、自分で何とかしよう」と思っていた。

全く祈らなかったわけではない。でも「本気で」祈るのは怖かった。だって「自分がおかしい」のだから、神様は聞いてくれないかもしれない。それに真剣に祈って聞いてもらえなかったら辛すぎる。

「御心のままになりますように」とは祈っていたけれど、今思えば、あれは「逃げ」だったなあ…でもあの時はあの時で、どうしようもなかった…

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私たちの負い目を赦してください

主の祈りの「私たちの負い目を赦してください。わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。(マタイ6:12)」

が、実はずっとしっくりこなかった。

なぜかというと、私が神様に負い目を負っているとは実感できなかったから。

今思えば、「なんで長年苦しんだ上に負い目を負わなくちゃいけないの?」「神様こそ、私に負い目があるんじゃないの?私は長い間、人には理解されない変な理由で一人で苦しまなきゃいけなかった…」と口にはしないけど心の底で恨んでいたのかもしれない。

一人相撲の自分勝手な恨みだったけど、ついに神様にブチ切れて、「答」をいただいた。「あ〜長かった…何度もガッカリさせられてきた…」と考えていた時に、突然、「私こそ神様を数えきれないほどガッカリさせて、裏切ってきた」と気がついた。

「負い目」の意味がわかった。

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森田療法とキリスト教(創世記のエピソードから)

悩めるクリスチャン向け|中野奈花|note

↑noteに書いた記事です。「内省的」で自分の感情についてついつい考え込んでしまうクリスチャンに向けて書きました。

 

 

 

 

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肉なる者(説教メモ)

★聖書箇所★

[詩篇 65:1,2,3,4]


 神よ 御前には静けさがあり

 シオンには賛美があります。

 あなたに誓いが果たされますように。

 祈りを聞かれる方よ

 みもとにすべての肉なる者が参ります。

 数々の咎が私を圧倒しています。

 しかし 私たちの背きを

 あなたは赦してくださいます。

 幸いなことよ

 あなたが選び 近寄せられた人

 あなたの大庭に住む人は。

 私たちは あなたの家の良いもの

 あなたの宮の聖なるもので満ち足ります。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号


★説教メモ★

これはダビデの詩と言われています。ダビデは主から認められ、「神と心が一つ」とまで言われていました。

しかしダビデは、自分では神の前に立ちうる人間とは思っていませんでした。数々の罪に圧倒され、自分が弱く愚かで惨めな存在(肉なる者)であることに葛藤する普通の人間でした。

それでも神の前に進み出るのは、神がそんな自分を赦してくださると信じていたからでした。

神は完全に清く、罪を憎むお方なので、ためらってもおかしくはありません。

それでも、「みもとにすべての肉なる者が参ります」と神の前に進み出ます。

「自分は神と心が一つだから」ではなく、神が選んでくださったから、神が近寄らせてくださったから…

主の御前には、赦しと解放があります。それだけではなく、尽きることない恵みを与えてくださいます。

罪の現実を見る時に、「こんなはずではなかった」と思い、礼拝から遠ざかってしまうこともあります。

しかし、私たちが主の御前に進み出るのにふさわしい瞬間は一度もありません。

招かれざるものが招かれ、赦されざるものが主の十字架によって赦されました。

救われてもなお弱さがありますが、そこに主の血潮が注がれて赦され、御前に進み出ることができます。

招かれざる者が招かれた恵みを知る時、私たちの生活のすべてが礼拝へと向かいます。

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骨折でウツが楽になった話

神経症(不安障害)の治療法に森田療法というのがある。前にカウンセリングを受けていた時、カウンセラーから何度も何度も「感情をいじくりまわさないように」とアドバイスされていた。

例えば、落ち込んでいる時に「気分を上げよう」と努力すると、注意がどんどん嫌な気分に集中し、ますます酷くなるので、「そのまま」にしておきなさいと…

理屈ではわかっていたのだけど、先週転んで利き腕を骨折し、シーネと包帯でぐるぐる巻いて固定された腕を見ているうちに、それがどういうことなのか体感できた気がした。

折れて腫れている腕をいじくりまわしたら悪化するに決まっている。だから極力、動かさないようにして回復を待つ。そして、残った腕でやれることをする…面倒でも、効率が悪くても、そうするしかない。だって折れているんだから。

目に見えるか見えないかの違いで、「感情」も「折れた腕」と同じなのだ。ウツの時は頭の回転が悪くなるので効率が落ちるし、全てが億劫になってしまう。しかし自分を奮い立たせようと感情をいじくりまわしてはいけない。そのまま放置しておき、頭が回らないなりに、できることをするしかない。だってウツなのだから。

この次またウツの波が来たら、この感覚を思い出したい。

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